周防大島 眷龍寺 [周防大島]
眷龍寺
国鉄バス下田駅から白木山登山道路を上ること約1キロ、弘法市で有名な神宮寺の南丘、松林を背景として眺望絶佳の地にある寺院が眷龍寺である。
眷龍寺の始まりは約七〇〇年前の文永年間であり、宗旨は臨済宗として勅溢普済大聖禅師が創建されたと伝えられている。
今に至るまでこの古位牌が残っておるが、その間寺院は荒廃し、いろいろの重要な記録や什宝類も紛失したので代々の住僧の世牌や年数等は充分に判らない。
それから後元和元年に曹洞宗の融山寛南和尚が再建して、永平寺の末寺として伝えられてきたのであるが、はっきりした記録がないので寛文年間の本未御改めのとき龍文寺の末寺とされ、そのとき龍文寺第五世為宗忠心和尚を迎えて開山と定められたが、文亀2年に同和尚は亡くなられた。
二世寛甫、三世喜庵長栄、四世林獄慶春、五世麟昌春麒、六世定宝頼禅と住僧は元禄12年4月まで相続したが、その頃寺院が老破したので右門虎白和尚が寛永5年に再興し、恩師である大振道潮禅師を中興開山に迎えて自分は中興二世となり、それから後歴代に及んでおる。
なお当寺のはじめは森野の長浜にあったともいわれ、また西方の奥地にあったとも伝えられているが、この点ははっきりしない。元和年間に現在の地に転じたことは間違いないようである。
現在の寺院の建物は本堂七間四面で大正2年に起工し、同3年12月上棟十四世興元建禅師の再建で、内柱は欅材の丸柱を用い、荘厳を極め、工費は当時の五千余円を要したものである。
檀家は一〇六戸で住職は船越出身の興元建道氏であったが昭和3年に死去されたので、現在は法心寺住職矢野泰邦氏が兼掌されている。
(昭和35年9月1日東和広報より)
(昭和35年9月1日東和広報より)
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